山名の由来
六甲という名前の由来にはいくつか説があるようです。
その1:六つの甲冑
大和朝廷、神功皇后による三韓征伐の帰途、謀反を企てた香坂王と忍熊王は
平定され、この時六つの甲冑を国家鎮護の祈りとして埋められた。その六つの甲
冑から六甲山と称されるようになった。
その2:武庫の地名から
武庫川河口付近は古代より武庫泊、武庫津、武庫浦などと呼ばれ瀬戸内海運
の重要な港、航路目標であった。そしてその目標物が武庫の山->むこの山->六甲
の山->六甲山となった。
その3:「向こうの山」から
六甲山は眺めることは容易だが、登ろうとするには案外遠くにある。そのあ
たりから向こうにみえる山->向こうの山->六甲の山->六甲山となった。
かつて難波の宮の時代、六甲山はまさしく大阪湾の西のはるか向こうにみえる
「向ッ山」だった。
また、広田神社の事を日本書紀が「向津姫命(むこつひこのみこと)などと書い
ているそうです。
その4:椋(むく)山から変化したもの
万葉集に「たまはやす武庫のわたりに天伝ふ日のくれゆけば家をしぞおもふ」
でまくらことばの「たまはやす」を説明するに「玉の光とは「椋(むく)の木」
を意味し、むこ、むくとかけたという解釈です。当時六甲に椋の木が多かったか
らその名をむこと云ったという説です。
その5:御子(みこ)が変化したもの
天平3年住吉神社神主の住吉神代記に
川辺郡為奈山 別名阪根山 四至 限東為奈川並公田・・
限西御子代国堺山・・
との個所があり、この御子代国に注して武庫国が変化したものであるとし、為奈
は猪名であって、六甲の東山麓、伊丹・池田の平野であり、その西の境堺といえば
六甲山の東はしであるとの解釈です。
その6:アイヌ語とするもの
「むこ」はアイヌ語の「むく」に由来し「むく」とは、学名Codonopsis
ussuriensis,Hemslと言い、basobu草のことであって、その根がアイヌの人の常食
となっていて、石器時代六甲にこの植物が多かったからこの山とこの地方を
「むく」と呼んでむこ山とかむこ郡となった。
参考資料:赤松 滋著「六甲山の素顔」、神戸市史